ショパン 子守歌 Chopin Berceuse Op. 57 Vladimir Ashkenazy
演奏はウラディミール・アシュケナージ.
ショパンのほとんどの曲がナンバーで呼ばれるなかで、晩年に作曲された「舟歌」と「子守歌」は例外であり,題名の中にショパンからのメッセージが込められているような気がします.
ショパンは生まれながらの天才であり,音楽的には他からの影響が少なく,もっぱら自身の魂の叫びに従って成長したように思います.ショパンの魂はフランス人の父から受け継いだ知性・合理性と,ポーランド人の母から受け継いだスラブ民族の感性が融合することによって形成されたと考えられますが,愁いに共鳴するショパンの魂はポーランドの自然が育んだように思います.ポーランドは緯度が高いため太陽高度が低く,白夜の季節には夕暮れ時(夕焼けやブルー・モーメント(日没後に全天が青色で覆われる時間))が長く続くからです.そのような光の世界では人は人生の哀しさ・はかなさや,来し方・行く末について瞑想する習慣が身につきやすいのです.ショパンが自分の心臓をワルシャワで眠らせることを遺言したのも,ショパンの魂がポーランドの自然と光のなかで生き続けたいと願ったからに違いありません.
フランス語のberceuseは名詞形では1)子守歌,2)ロッキングチェアという意味があり,形容詞形では1)静かに揺れる,2)人をまどろませるような,という意味があります.この子守歌(Op.57)を聴くと,子供を眠らせるための子守歌というよりは,揺りかごに揺られて眠りの世界・夢の世界に遊ぶ曲であることがわかります.曲は揺りかごがゆっくりと揺れるところから始まり,左手は常に揺りかごのリズムを刻んでいます.やがて眠りに入ると,音の粒の流れが光の粒のように輝きだし,わたしたちはピアノの妖精に導かれて美しい星空をあちこち旅していきます.光の帯はやがて静かに消えて,揺りかごの動きだけが余韻として残ります.
1943年,ショパンはサンドへの嫉妬心が高じて精神的に不安定になり,精神的肉体的に衰え,年末には床に倒れます.翌年の春になってやっと重態から回復しますが,5月に父ニコラが結核でなくなって再び悪化します.7月にワルシャワから姉を呼び寄せて,秋にようやく元気を回復して,作曲に取り組みます.この子守歌はこのような困難な時期(1844年)に作曲されました.しかし曲想には一点の愁いも感じられず,透明感・清澄感にあふれています.まるで悟りの境地に達したかのようです.おそらくショパンは,人生の喜怒哀楽を経験し,人生に疲れ果てて,この世の眠りにつきたかったのではないでしょうか.別世界の夢の世界を旅する響きが聞こえてきます.シェークスピアが最後の作品「テンペスト」で語った”はかない一生の仕上げをするのは眠りなのだ”という一文が思い出されます.
※ ショパンはパリでの最後の演奏会(1948年2月16日)と、人生最後の演奏会(同年9月のマンチェスター、10月のエディンバラ)でこの子守歌を演奏曲目に選んでいます。
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